これから目指すこと

私は9月から認定看護師教育課程に進学する。

看護師1年目、先輩看護師が取得していたものだ。その時の未来は自分はどんな看護師になりたいか不明だった。認定?専門?いまいちイメージはつかなかった。看護学生の時臨床教育看護師に認定になっても将来的には意味がないといわれたことがある。だから看護師1年目から今の今まで認定看護師になろうとは思っていなかった。今のところをある程度経験したら、実家に戻ろうかとも考えていた。そんな毎日をただ過ごしていた。話がでたのは去年の秋ぐらい。いろいろと覚悟を決めて進学することを決めた。試験勉強や願書を書くのが大変で、それよりも上長との面談が願書提出開始の2週間前でもっと気疲れをした。もっと前から計画的に面談するものではないのかと思ったが…。

試験はとても難しく、最終的にはこれぐらいのレベルの知識を求められるのであろうと思いつつも、落ちたなが一番な気持ち。(笑)晴れて合格を手にしたのだが、課題やら色々あり、仕事しながらそれをこなすのがとても大変でもある。

泣きそうなのを我慢してちょっと息抜きも入れて課題をなんとかこなしている。みんな優秀なのだろうか…私だけ出来なかったらどうしよう…とかいろいろ考えている。

救命センターをやめたことを後悔

私は結婚を機に救命センターを辞めた。そのあと二次救急にいるが、物足りなさを感じる。
過去の日記では体を壊すからという理由をつけて辞めてるが、結婚したけどすぐ離婚して、二次救急がものたりない。もう若くはないから、三次救急を目指すことにしました。
1人だし、自由にできる素晴らしさ、たくさん勉強したい思いが強くある。
結婚はミスだった。別れたことは後悔はしていない。
自由にできる今だから頑張りたい

救命看護師が苦手だったこと

私が救命救急センター時代に苦手だったこと…

ズバリ…

急変対応です!

 

今でも課題です

3年間これだけは勉強してもしてもし足りない項目

自分が急変した患者さんに当たったことがなかったので

危機感は薄れていた気がします

BLSという言葉は知っていましたが、その次のACLSからは未知でした

1年生のころから病棟で急変対応の勉強会をしていました

当時はDC、救急カート、足台もってこい役でした

これでは自分で対応できませんね

2年生のときに

BLSとACLSプロバイダーくらいは取ろうと目標を立てたのにBLSで挫折

ACLSは避けてました。

先輩に教材を借りて、独学でやっていましたが、どうも理解ができなくて

3年間お粗末…

先輩の足を引っ張る一方でした

 

転職して初療に出るようになってから

これではやばいとやっと危機感が訪れます

まずはICLSから勉強

ICLSという言葉自体、私は全く知らず、友人に紹介されて受講しに行きました

それはそれは楽しく学ばせていただき、これならとACLSも続けて

そのあとは取る予定もなかったPALSも取得。

現在はAMLSを取得するか悩み中という風に至りました

 

ICLSを受講した後の初療対応は私の中では風景が変わりました

3年間全く理解できなかったあの頃に比べたら全然違います

リーダーもやっとできるようになったくらいです

それでも、今でも急変対応は自分の中で課題としています

もっと早く知っていれば…もっと自分が積極的に動けていれば…

そんな後悔はたくさんあります

 

資格を取得することが偉いわけではありません

私みたいにつまずいて悩んでいるより、

実際に学びに行ったほうが、身につく速度は全然違います

急変対応は繰り返しといいますが、本当にそう思います

 

今では私は急変の指導側に立っています

転職して1年で退職

私は、3年間総合病院で働いた後、転職。

転職先は某病院。2次病院だった

師長が素晴らしい方だったからこの方の下で働きたいと強く思った。

でも、師長の異動…私の上司は副主任になった


入った当初から先輩からパワーハラスメントはあった。でも師長が守ってくれてた。

それがなくなった

むしろ直属の上司からのパワハラが加わった。


ここではっきり言います。

私は追い詰められすぎて死のうとしました。

それから1ヶ月休職した

辛かった

看護師の仕事が楽しかったから

何も出来なくなった自分が嫌だった

朝起きれなくなった

ご飯が食べられなくて体重が10キロ落ちた

本当は3ヶ月のドクターストップだった

でも、どうしても看護師の仕事がしたくて無理に復帰した

それが間違ってた

結局パワハラは無くならなかった

数ヶ月、仕事に復帰したけど、

パワハラがひどくなる一方で

再び休職した。

休職満了で退職を決めた


辛い思いしてる人たくさんいると思う。

苦しんでまで無理しちゃダメだと思う

休む時はしっかり休んでほしい

私みたいにならないでほしい


看護師になる道は厳しい

やっと勝ち取った資格を活かすのは素晴らしい

でも結局厳しい現実がある

私は看護師の仕事が嫌になったわけじゃなくて環境がダメだった


劣悪な環境で今働いていて辛い人、辞めるのありだよ

転職先はたくさんあるから

どうか環境で看護師の仕事を嫌いにならないでほしい

私の勉強方法

学生時代と違って社会人になるとまともに勉強時間の確保ができないですよね・・・

勉強方法はそれぞれですので参考までに見ていただけたらと思います

 

私は学生のころからノートに改めてまとめるのが苦手?嫌い?だったので

何か書いてあるものにメモを追加していました

学生時代ですと教科書とか配られるプリントです

とにかく私の教科書は売りに出せないくらい文字でいっぱいです

社会人になってもこのずるい方法は健在で、マニュアルとか教科書をコピーして病棟で必要であろう知識を書き込んでいくスタイルでした

マニュアルは意外とあっさりしているので、読んでいく中で謎の言葉やよくわからないことは調べて、業務に臨むようにしていました

事前に調べたうえで業務に臨むと「あー調べたのはこのことか」と理解しやすかったです

業務をする中で追加の知識があれば、書き込む…それの繰り返しです

日勤帯は忙しかったので特に夜勤帯に先輩に「ここ、教えてください。」というとぷち勉強会が始まります

とか

あとはなんとなく突っ立っていると先輩に声を掛けられ、「これはどう思う?」とか「これ分かる?」と質問されるので答えたりしていました

 

みなさんもそうかもしれないですが、図や絵があると分かりやすいと思いませんか?

私は図や絵があったほうが理解できる人です。でも、私は絵を描くのが苦手で…

これはなんだ?と周りにいわれるくらい謎の生命体が描かれています笑

私はその絵で理解しているので、自分が分かればいいやくらいの低レベルな絵を描いてます。

絵がうまい方がうらやましいです…

どうしてもかけない!という絵は教科書などからコピーして切って糊で貼って色を塗ってまとめてました

 

これは勉強の方法の一つのやり方なので、皆さんがやりやすい勉強方法を見つけて、学んでいければよいと思います!

看護師3年間

私の看護師3年間について書こうと思います


1年目

最初の記事にも書きましたが、私の1年目は記憶にないくらい辛いものでした

自慢ではないですが中途半端に勉強ができたので、先輩から毎日質問ぜめにあう日々。情報収集不足とか知識不足とかに悩む毎日です。

それに当時ペアナースという制度を導入していました。看護師2人で最大4人の患者さんをみるという制度です。

この制度が私を大きく苦しめるんですねぇ

4人最大受け持ってなぜかひとりでみてた時期がありました。それはそれは大変でした

勉強のため!夜勤のため!といわれ、あぁそうなんだと思いながら、仕事してましたけどね。

日勤帯の仕事を1人でこなす…??ってあとから思いましたね。とりあえず、なんだかんだ1年間そんな感じでした。

悩みを共有できる同期もいなかったので、先輩にも頼れず、どん底看護師でした。

メンターにも特別相談することはありませんでした。

何のためにメンター制度あるんだろ?と思ったこともあります。

患者さんの前で泣いて怒られたこともあります。

先輩からのいじめも受けました。(まだ軽い)

毎日辞めようと思いましたね。

じゃぁ何で辞めなかったのか?自分に負ける気がしたからだと思います笑

あとは辞めます!って言葉が言えなかったんだと思います。

転機は主任からのある言葉。

勇気を持って先輩に声をかけてみて。

そんな言葉を聞いた次の勤務から行動に移してみたんです。

そしたら見違えるように世界が変わったんです。

先輩から時間があると呼び出し…何かなぁと思うとこれ、わかる?と救命センターならではの医療機器の説明をしてくれるんです。あとは疾患のことや看護のこと…

色々なことを教えてくださいました。


2年生

看護面で頼られることが多かったです。

周りが見えるようになりました。

この時私が苦手としていたのが急変時対応です。

今は何であの時できなかったんだ?って思うくらい何の躊躇もなく、対応できますが

当時はは?え?どうしたらいいの?ヘルプミー!って感じでした。

優しい先輩は助けてくれます。

助けてくれた分ゆっくり復習すればいいのにしなかったんですねぇ、私は。

次急変に当たってもダメダメでした。

1年の時に比べ重症患者さんを受け持つことが多くなり、急変する率もそれなりに高い中で生活していたので、毎日ドキドキでした。

加えて救命センターに必要なお勉強も始めました。2週に1回先輩に提出です。

知識+実践が身につきます。ただ文字を見ているより実践することでさらに身につくという感じです。


さて同時に先輩からのいじめもひどくなってくるんです。

できるようになるとひどくなるんですかね?

あの先輩はこういう人だと心の中で思っていてもやられました。

いじめ1 私からの挨拶無視

いじめ2 仕事は全て私任せ(先輩は椅子に座っている…)

まぁ、守ってくれた先輩もいたのでまだよかったですけど、さすがにひどいです。


3年目

色々できるようになったのも、

いじめがピークになったのもこの時期。

いじめ1 夜勤の時に先輩が自分の仕事を優先し、私に申し送りをしない(勤務時間内)

いじめ2 インシデントを私のせい

あーここまでくると怒りピークですよ

こんな先輩にはなりたくないと思ってました。

私はとにかく患者さんを守ることと患者さんに向き合うことを常に考えていました。

いじめにあってた時は素晴らしい先輩に人で辞めちゃいけないよって言われて辞めるのやめたんです。

結局、3年目の終わりで引越しに伴い退職するんですけどね。


2年目に始めたお勉強は先輩の目がなくなってからも続けました。疑問に思ったことは先輩に質問すると何十倍も返答が来るんです。その何十倍の中に知らない知識があったりするんですよね。それをまた勉強していく…の繰り返しです。


まぁなんだかんだ3年間は同じ場所で続けることができ、たくさんの学びがありました。看護師辛いって本当にそう思います。

本当に辛い時に相談できる相手がいるとよかったのかなぁと思います。

それでもダメだ、後悔はないと思ったら辞めてしまうのはそれはいい手だと思います。

私の看護師1年目

これから、私が看護師になった経緯から看護師1年目をどう乗り越えたか?について書こうと思います。

 

私は物心ついた時から

看護師になる!!

と言っておりました。

将来看護師になって怪我や病気で苦しんでる人を助けたいです。

と小学校6年生の卒業式で大勢の前で話したのを覚えています。

さて、なぜ看護師に行き着いたのか?は母親の影響です。

小さい頃から母が仕事の日は病院に行き、そこの看護師さんによくしてもらっていました。

これが私が看護師を目指すきっかけです。

 

何も疑いなく看護師の道へ…。

大学を卒業して、さぁ配属先はどうしようか?と考えました。

当初、手術室ナースに憧れ、インターンシップは手術室。

ドラマを見たことがきっかけで救命の道を歩むのです。

救命病棟24時やコードブルーをみて、救命救急で働くことも考えていました。大変というイメージでしたから大学に入ったときは救命は考えませんでした。

実習をするなかでなんとなく急性期かなぁと思い、

せっかく学んでいるのだから無駄にしたくないなと思うようになり、

広く浅く学ぶことができる救命救急センターへの就職を決めました。

簡単に言うと、ドラマの影響です。

 

新人で救命センター選ばなきゃよかったと後悔する日々が始まるのです。

看護の基礎を学ぶ+集中治療の看護を学ぶので、周りの病棟に配属された同期より圧倒的に大変でした。

研修で同期にあうと看護にギャップが…

悩みでした。

あれ、私ってなにか違う…

同じ部署に配属された同期はいませんでしたので1年生特有の悩みを相談できませんでした。

ゴールデンウィークの終わりから当初のモチベーションは低下。2年生になるまで上昇気流に乗ることはありませんでした。

ただなんとなく仕事をするそんなかんじでした。

いろいろできるようになりました。

でも、集中治療でできる看護って何だろうと思うことが多かったです。

先輩に相談もできませんでした。取り残されている感じでした。

そんな私に声をかけてくださったのが、ある先輩です。

先輩が1年生のころ私と同じ状況だったと話してくれました。

勇気を出して少しずつでいいから先輩に声をかけてみてとアドバイスされました。

次の勤務から実行。

すると周りの世界はあっという間に変わりました。

私が声をかければ、先輩からも声がかかり、私もついていかなければといつの間にか思うようになりました。

1年生が終わるころ、勉強を少しずつ進めたら患者さんの看護について考えられるようになり、今まで私は何してたんだろうなと思いました。

何度もやめようと思いました。

辞めます!のやの字も言えず、結局救命センターを続けることになります。

いじめられても人のことでやめちゃダメと言われ、周りから守ってもらい、なんとか3年間救命センターで続けることができました。

今、救命センターから離れていますが、救急分野が好きでそれに関連した仕事をしています。